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コラム

ケースで学ぶ事業承継(事業譲渡)

弁護士 安部史郎

1. はじめに

 当事務所では、多くの会社経営者の方から、事業の撤退や拡大にかかるご相談をお受けしておりますが、昨今、いずれのご相談についても事業承継のニーズが高まっているものと感じています。事業承継は、事業を廃業させない有益な方法であるとともに、業容拡大を目指す企業の戦略的手段にもなります。

 事業承継には多くの手段がありますが、本コラムでは、関与された会社のご承諾を得て、円満に終了した事業譲渡の事案をご紹介したいと思います(事案の内容は簡略化したうえで一部変更しています)。

2. 事業を譲渡する会社(A社)の事情
事業内容 服飾関係製造販売事業/不動産賃貸事業
事業の特長 服飾関係製造販売事業 熟練された職人と確かな技術を有し、大手百貨店などに販路を持つ老舗企業です。10年ほど前には、若者向けの新規ブランドを立ち上げて売上を伸ばしました。ただ、流行の移り変わりによって新規ブランドの売上が落ち込むと、営業利益を上げられなくなっていました。
不動産賃貸事業 多くのテナントが長期にわたって入居しており、安定的な賃料収入を得られる事業でした。
事業譲受の動機 製造販売事業を整理して、不動産賃貸事業をてこに、業績の立て直しを図ろうとされていました。
3. 事業を譲り受ける会社(X社)の事情
事業内容 服飾関係製造販売事業
事業の特長 老舗企業である一方、時代の最先端をいく製品を、全世界に有する販路で販売することで発展していました。業績は好調で、製品の販路開拓や業容拡大を目指していました。
事業譲受の動機 A社の技術力や国内販路の強みに着目していました。売り上げが落ち込んだ新規ブランドについても、X社のノウハウを活用することで十二分に立て直しが可能と判断されていました。
4. 事業譲渡の手順

 事業譲渡の譲渡人と譲受人との間では、一般に利害対立が生じえます。そこで、弁護士が関与する場合、通常どちらか一方の当事者の代理人となります。ご紹介する事案では、私がA社の代理人として関与し、下記の手続で事業譲渡を進めていきました。

順序 内容 詳細 A社とX社の場合
秘密保持契約書 (Non-Disclosure Agreement /NDA)の締結 事業承継を検討しているという事実は、特に譲渡する会社にとって重大な秘密事項です。従業員や取引先に知れてしまった場合には、会社の経営状態などに疑問を持たれてしまい、信用を失って事業が毀損することもあります。そこで、ごく一部の会社関係者と関与する専門家を除いて、一切口外しないように、秘密保持契約書を締結します。 A社とX社との間でも、まずは秘密保持契約書を締結しました。
覚書の締結 秘密保持契約書を締結した後、譲渡会社は譲受会社に会社の実情を示す資料を提供し、両者の間で譲渡条件について協議を進めます。そして、事業譲渡の範囲、対価、時期、雇用継続などの基本事項について合意に至った場合には、覚書を締結します。 A社とX社とは、@譲渡の範囲がA社の製造販売事業全部であること、A譲渡の対価は譲渡時点の帳簿価格を用いて資産から負債を控除した金額を基準とすること、B譲渡の時期はX社の事業年度初日とすること、CX社は原則としてA社社員全員の雇用を継続することの4点を骨子とする覚書を締結しました。
デューデリジェンスの実施 事業譲渡におけるデューデリジェンスとは、譲渡される事業の実体やリスクを把握するための調査のことをいいます。弁護士が行う法務監査や公認会計士が行う財務監査などがあり、事業譲渡契約の条件や、場合によっては契約を締結するか否かの判断にも影響する重大な手続です。 デューデリジェンスは、事業承継において必須の手続といえますが、時間と費用を要するため、事業の規模によっては過大な負担となることもあります。A社とX社との間では、事前の情報開示を密に行うことで、なるべく簡略化したデューデリジェンスを実施しました。
取締役会決議 事業譲渡は、通常、「重要な財産の処分及び譲り受け」(会社法362条4項1号)にあたりますので、取締役会決議を経ることになります。 A社及びX社の双方において、取締役会決議を経ました。
事業譲渡契約書の締結 事業譲渡契約書の作成は、当然のことながら、事業譲渡に関わる弁護士にとって極めて重要な業務になります。両者の意見の摺り合わせをしながら、予期せぬ事態が生じた場合の対処方法など細部の条件まで詰めることになります。売主の競業避止義務や商号の扱いなどについても明記します。 A社とX社との間では、大きく利害が対立することはありませんでしたが、細部については多数回の修正が加わりました。
株主総会決議 事業譲渡においては、
@事業の全部の譲渡
A事業の重要な一部の譲渡(当該譲渡により譲り渡す資産の帳簿価額が当該株式会社の総資産額として法務省令で定める方法により算定される額の5分の1を超えないものを除く)
B他の会社の事業の全部の譲受け
の3パターンにあてはまる場合、株主総会の特別決議(定款に特別な定めがない限り、株主の議決権の過半数を有する株主が出席し、出席した当該株主の議決権の3分の2以上に当たる多数の賛成が必要となる決議)が必要になります(会社法467条1項2号、会社法309条2項11号)。
A社 A社は、製造販売事業と不動産賃貸事業のうち一方を譲渡するわけですから、「事業の重要な一部の譲渡」にはあたるものと考えられましたが、A社の顧問をされていた公認会計士の先生から「当該譲渡により譲り渡す資産の帳簿価額が当該株式会社の総資産額として法務省令で定める方法により算定される額の5分の1を超えない」ことの確認をとり、株主総会決議は行いませんでした。事業譲渡契約書においては、株主総会決議を経ないことについてA社が責任を持つという条項が付加されました。
X社 @〜Bのパターンにはあてはまりませんが、X社においては株主総会の特別決議を経てもらいました。株主総会決議を経るか否かは、法律の規定とは別に、手続の正当性の観点から重要な意味を持ちます。
契約関係の承継 事業譲渡においては、譲渡会社と第三者との契約を譲受会社が当然に承継するわけではありません。個別に承継手続を取る必要があります。特に、「従業員との雇用契約」「取引先との取引契約」については、譲渡会社から譲受会社へ承継していく手続、具体的には相手方の承諾をもらう手続が重要になります。 事業譲渡契約書には、A社従業員がX社へ移ることに承諾してもらえるようA社が努力するという条項がありました。A社では、X社との間で事業譲渡契約が締結された後、説明会や個別面談で、X社へ事業譲渡することを従業員に説明しました。そして、雇用契約の承継について承諾をしてほしいと依頼しました。また、取引契約については、A社の代表取締役が自ら取引先をまわって説明と依頼に出向きました。取引先は突然の申し出を受けて一様に驚きましたが、X社への承継については了承を得ることができました。
クロージング 事業譲渡契約の実行のことを指し、譲渡財産の引渡が行われます。 無事、クロージングを迎えることができました。
5. 雇用契約の承継

実は、雇用契約の承継については、難しい問題が発生しました。

説明会や個別面談での従業員の不安
 A社の説明会や個別面談で、A社からX社へ事業譲渡がされることの説明がされたのですが、A社の従業員は、X社の従業員になることに、当初不安の色を隠せませんでした。そこで、X社の取締役が直接、各従業員と個別に面談し、新しい雇用条件や待遇などについて詳細な説明をして、質問についても受け付けました。そうしたところ、殆どの従業員が納得し、雇用契約の承継を承諾してくれました。

承継を望まない従業員の存在
 一方、中にはこれを機にA社を退職して、別の仕事をしたいという従業員もいました。そのことはやむをえないのですが、退職を希望した従業員が、X社との雇用契約に承諾した従業員を翻意させようとする事態が発生しました。既に述べたとおり、A社には、A社従業員がX社へ移ることに承諾してもらえるように努力する義務がありました。X社へ移ろうとする従業員への妨害行為が広がることは、X社として看過できず、X社は、直ちにこの事態に対処するようA社に求めました。

A社の対応
 これに対し、A社においては、代表取締役が従業員と個別に面談し、事態の把握に努めるとともに、従業員に対して翻意を促すような行動は取らないよう説得しました。そして、X社に状況を随時報告したのです。この行動によって、事態は沈静化し、妨害行為はなくなりました。

従業員承継の難しさ
 当然のことですが、両当事者の意見が合致しないと契約は締結されません。特に、事業承継で譲渡の対象となる事業とは、譲渡する側にとっては我が子のように大事なものであり、従業員の生活がかかった社会そのものでもあります。また、譲り受ける側にとっても、新しい業務を行うことのリスクもさることながら、新しい従業員を受け入れる体制を整えることには大変な苦労があり、ともすれば元々の会社に悪影響を与えかねません。このように、事業承継においては両当事者ともに慎重にならざるをえない要素があり、両者の間の小さな意見の相違から不信感が生まれ、話し合いが頓挫してしまうことも珍しくはありません。

 本事案では、A社とX社とが、いずれも粘り強く、信頼関係を失わずに交渉することができました。特に、従業員の承継で問題が起こったとき、A社がX社への随時の報告を怠らなかったこと、X社としてA社の対応に理解を示したことには、それぞれ大きな意味があったと考えています。事業承継の手続を適正に進めることは、関与する専門家として必須のことではありますが、最も大事なのは、両当事者において信頼関係を維持することであると思い知らされました。

6. 最後に

 X社は、A社の事業を承継し、現在さらに発展させており、事業承継が円滑に進んだ好例であるといえます。当事務所においては、各弁護士が事業承継をめぐる実務についても研鑽を積んでおりますので、お気軽にご相談いただければ幸いです。

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